何処やらに隺の声きく霞かな
どこやらにたずのこえきくかすみかな
昭和15年に設立された、この地域では一番古い井月の句碑。道路拡張により現在の場所に移されました。
設立場所:伊那市美篶六道堤
設立年月:昭和15年庚辰3月(1940年)
句碑サイズ:碑面73cm×66cm/総高125cm
句碑裏面
句碑由来
この句碑は昭和15年3月美篶小学校裏の太田窪への路傍に建立され、同42年当時六道堤に移された。
漂白俳人井月(1822-1887)は本名井上克三といい、井月、柳の家、北越雲水などと号す。文政5年越後に生まれ、青年時代江戸に修学したといわれている。
芭蕉に私淑し諸国を行脚。安政5年頃伊那に来遊、生来酒を好み逸話に富む。多くの俳人宅を巡って寄宿生活30年に及ぶも俳友塩原梅関宅にて死去した。
俳句は月並み調もあるが、この句のように格調高い作品も多くある。この碑の筆跡は明治20年3月10日臨終の際、俳友六波羅霞松が筆をとらせた絶筆である。書や俳暦を惜しんで笠原出身の俳人堀内謙亮(号素仙)が上伊那東部教育会の後援でこの句碑を建立した。
碑陰は井月を最初に世に出した下島空谷が指揮したもので、本格的な井月の句碑としてはこれが最初である。
伊那市観光協会
井上井月顕彰会
美篶井月会
昭和15年の建立当時に撮影
句碑の左:堀内謙亮氏、右:下島空谷氏
アクセス
伊那市内からの場合、国道361号を高遠方面に向かいます。信号「笠原入口」を左折、次の信号まで道なりに直進、信号を右折、前方に見えています。
井月のお墓のある場所が見える、遠くは辰野のほうまで見渡せるとても眺めの良い所です。
美篶笠原句碑が数点あり、ととなりの末広には井月の墓があります。比較的近くなのであわせて行ってみてください。
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